
歯周病で近い将来、総入れ歯になる可能性がありそうだという危機感から歯科医院探しに火が付いた。幸い、これまで大きな病気をしたこともなかったこともあり、病院を探す機会は少なく、歯科医院に限らず、病院探しは苦手意識があった。そもそも、何を基準に医師、あるいは病院の良し悪しを判断し、選べばいいのか、さっぱりわからなかったからだ。歯科医院を探す過程で、そこには現代日本人を取り巻く様々な問題が潜んでいるように感じた。エピローグとして、今回の歯科医院選びを通して考えさせられたことをまとめてみたい。それは、単に歯科医院選びにとどまらず、あらゆる病院選びに通底する問題だと思っている。
かかりつけ医を探すための第三者的な立場の医師による介添えの可能性
今回、まず直面したのは、病因がわからないということである。自らの症状に適切な処置を施してくれる歯科医院を選び出す手掛かりがなかったといえる。
昨今では、『家庭の医学』の類を常備しなくとも、ネットで豊富な写真やイラストつきの症例や治療の解説を得ることができる。それらから、ある程度、病名を憶測できるが、医師ではないので断定することができない。なかには、診療の際にネットで見た薬を処方してくれというモンスター患者がいるらしいが、それは危険な行為であろう。診断は医師に任せるべきである。
そのため最初に、治療はせずに診断だけ受けるというファーストオピニオンを求めた。とはいっても、あくまでも治療を進める風を装った。歯科に限らず、医療施設全般で診断と治療はセットになっているので、診断だけ聞き、治療は別の医療施設で行いたいことを予め伝えることは気が引ける。そうした点で、かかりつけ医を探す前段階として、第三者的な立場の医師から診断を受け、治療に関するアドバイスが受けられるような仕組みがあるといい。
また、ぐらぐらする、痛いといった感覚を表現することはできても、具体的な症状を言葉で説明するのは難しい。さすがに、今回のぐらついている歯は特定できたが、痛みや沁みを感じる歯がどれなのか、特定できないこともある。自らの身体でありながら、何が起きているのか、さっぱり理解できていない。そうした点でも、第三者的な立場の医師が患者のつたない言葉を通訳してくれるとありがたい。
今回は、かかりつけ医を見定めるために三つの歯科医院に出向いた。なので、それぞれの歯科医院でレントゲン写真を撮る羽目になった。放射線量の問題が頭の片隅にあったが、レントゲン写真をもらえない以上、致し方ないと観念した。こうした問題も、かかりつけ医を探すことを前提に第三者的な立場の医師がレントゲン撮影を行い、患者が出向く歯科医院へレントゲン写真を提供してくれると、身体への負担が少なくなると思う。
今回の病状に関しては、三つの歯科医院が下した診断は基本的に変わらなかった。異なったのは、治療方針である。あくまでも誰が診ても診断は変わらないということを前提にすれば、第三者的な立場の医師が診断とともに、想定される教科書的な治療方法から最新の治療方法までを、それらのメリットとデメリット、治療に要するであろう期間、金銭的な相場などの情報を提供してくれれば、歯科医院選びがスムーズにいくに違いない。
このような第三者的な立場の医師による介添えは、歯科以外でも専門的な治療を要するような病気であるほど、活用できるのではなかろうか。現在の歯科医院の数が適正なのか否かはわからないが、大学病院の歯科は細分化がかなり進んでいるにもかかわらず、開業医の診療内容はほとんど差別化されていないように思う。第三者的な立場の医師による介添えが難しければ、少なくとも各歯科医院が得意とする治療が把握しやすくなって欲しい。
診療内容から歯科医院を探せない問題
次に、ファーストオピニオンで歯周病という診断が得られたにもかかわらず、歯周病治療を見込める歯科医院が探し出せないという問題に直面した。これには、今日のネット検索の問題と歯科医院経営の問題が指摘できる。そこには、公益とは縁遠い商業主義がある。
グーグルから足を洗いたいと思っている人は少なくないのではないだろうか。広告が表示されない画期的な検索エンジンは今や昔、近年では広告ばかりが表示されるようになった。歯科にかかわる言葉で検索しようものなら歯科医院がコンビニよりも多いという事実の裏で、熾烈な競争があることを仄めかすように検索結果は歯科医院の広告が大半を占める。検索結果の上位3つ以上を広告が独占することも珍しくない。
グーグルなりの客観的指標で、検索結果が表示されていた時代はすでに終焉したのである。今や、グーグルにどれだけ上納しているかによって、恣意的に検索結果をいじる度合が高くなった。ただより怖いものはない。それは、グーグルのサービス全般にいえることで、「06 迷走する第二の歯科医院選び」で指摘したように、グーグルマップもまた商業主義に毒されている。
結果として、歯科医院もまた商売であることをまざまざと見せつけられる。「歯周病治療」で検索し、広告の上位に表示された歯科医院の公式サイトを眺めてみても、歯周病については教科書的なことしか書かれていないこともある。第一の歯科医院では、公式サイトで歯周病の最新的な治療方法を紹介していたが、その治療に言及されなかった。果たして、公式サイトで掲げられている治療が実際に行われるのかは、受診してみなければわからない。
結局、歯科医院にとって公式サイトは、患者獲得の入口でしかないように感じる。公式サイトに掲載されている歯周病に関する記事は、見る数をこなすことで大半が教科書的な記述であることがわかったが、調べはじめた当初は食い入るように眺めていた。歯周病は、日本国民の8割が罹患しているといわれる国民病である。歯科医院の広告として、これほどうってつけな宣伝文句はないのだろう。
また、歯周病は根治させる治療方法が確立されておらず、予防するしかないというところにもあいまいさがある。しかも、患者の日々のブラッシング能力にも大きく左右されるようなので、治療に対する責任の所在がはっきりしない。歯科医院に期待したいのは、歯周病の状況を適切に診断でき、その原因を究明し、改善につなげる能力である。その点、歯周病に対する歯科医院のスキルを判断できる要素が非常に少ない。
日本歯周病学会(https://www.perio.jp)では、認定医、専門医の資格を認定する制度をつくっている。また、似たような名称の日本臨床歯周病学会(https://www.jacp.net)でも認定医制度がある。学会が主導する資格には、ある種の胡散臭さを感じるが、取得者は少なくとも歯周病に対する意識が高いことを示しているだろう。情報は溢れているようで、真に使える情報は限られている。患者には、情報を的確に取捨選択する能力が求められているといえる。
医師の学歴表示から考えさせられた患者に寄り添うことの意味
同僚の「医師は学歴で選ぶ」という視点は目から鱗だった。結果的に、学歴は歯科医院選びの突破口となった。とはいえ、手先の器用さをはじめとした技術も求められる医療の現場では、学歴とは関係ない側面も多々あるという思いは拭えない。
歯科医の学歴を調べる前に、試しに歯科だけでなく、これまでに診てもらったことのある医師の学歴を調べてみたことは、学歴で選ぶことを後押しした。驚いたのは、学歴がまったく探れない医師がいたことである。診療所といえば、待合室に医師免許や学位の免状が飾られているのが常のような気がしていたが、幻想だったようだ。あわせて、これまでの診療を振り返ると、それらの医師にはある共通点があった。
とにかく人当たりがいいのである。つたない言葉で説明する症状なども親身に聞いてくれ、まさに寄り添ってくれるという言葉がぴったりの医師が多かった。しかし、診てもらったところで、いつまで経っても病状は快方に向かわない。処方された薬が合わないこともあった。診療を通して、何かがおかしい、合わない、と感じていた医師ほど、学歴をひた隠しにしていたのである。
逆に、診療ではそっけない態度でありながらも、診療後は、すぐに快方に向かうことから、信頼できそうだと感じていた医師ほど、すぐに学歴、職歴が探し出せた。その多くが国立、私立でも偏差値が高めの大学を出ている。なかには、文系の学部を卒業後に、医学部に入り直していることが確認できた医師もいた。ご多分に漏れず、待合室には免状が飾られていたことを覚えている。
考えてみれば、医師免許は一部の例外を除き、日本の大学の医学部や歯学部を卒業しないと受験資格が得られない。だから、医師免許と学歴は一体の関係にある。大学の建築学部などを卒業しなくとも、建設業界で一定のキャリアを積めば建築士の受験資格が得られるのとはかなり異なる。学歴を書かない医師は欺瞞のように感じるし、学歴を隠すことに医師としての自覚、あるいは自信のなさが表れているように思う。
「寄り添う」という言葉は、患者を気遣っているようで非常に聞こえがいい。しかし、その内実は医師としての確固たる診断ができないから寄り添うよりほかないのではないだろうか。仮にそうならば、モンスター患者に食いものにされてしまいそうである。医師の選定は、最終的にはそれぞれのひととなりで選ぶことになろうが、数多の医師の中から学歴で絞り込むことは、あながち間違っていないように思えた。
皆保険制度に対する懐疑
第二の歯科医院では突然の自費診療宣告に、決めかけていた治療の意志が揺らいだ。かねてより歯科医院には自費診療の項目が多いだけに、あえて自費診療を提案しなさそうな歯科医院を選んできたように思う。特に、審美や美容を前面に打ち出しているような歯科医院は避けてきた。その結果、長らく昭和時代さながらの歯科医院に通院していたわけだが。
自費診療に対する偏見があったことは否めない。自費診療は見映えをよくしたり、開発まもない最新の治療をしたりする時の措置で、保険診療で別の治療方法があるのならば、健康を維持する上での効果はさほど変わらないと思い込んでいた。その点、提示された歯周病治療は違った。日頃、保険診療で行っているメンテナンスが治療の柱なのだ。しかも、病状の改善に時間がかかるならば治療を中止するともいう。自費診療と保険診療の違い、ひいては保険制度に目が向かないわけなかった。
自費診療の案内には十数万円の基本料に加え、1回の診療で支払う治療費も明記されていた。もちろん治療費も自費診療扱いなのだが、この金額に違和感を覚えた。3割負担で換算すれば、日々の診療で支払っている額と大差なかったからだ。なぜ、この治療費を患者に自費負担させるのかという疑問が湧いた。むしろ保険を適用し、診療報酬を得た方が、もう少し取れるのではないかとも思った。その辺のからくりはよくわからないが、何かがおかしいと感じた。
自費診療の問題は、果たしてこの歯科医院に歯周病治療のスキルがあるのかという思考にたどりついた。改めて公式サイトを眺めても、歯周病という単語は見られるものの、歯周病治療そのものには言及していないし、歯周病に関する学会などにも所属していないようだったからだ。同じ自費診療ならば、歯周病に精通した医師のもとで先端的な治療も視野に入れながら進める方がいいと考えるのは自然な流れだったといえる。
求める歯科医院がはっきりしたにもかかわらず、医師の学歴に注目するまで歯科医院が探し出せない状況は続いた。その最たる要因は、保険制度にあろう。
2020年4月に改訂された現行の歯科診療報酬のもとでは、保険診療で歯周病治療を進めようとすれば、症状によって1か月に1回、3か月に1回という単位での診療になるようである。これは診療報酬、ひいては厚生労働省が定める基準によって、治療が限定されること意味する。歯周病の自費診療が提示された背景には、こんなことがあるのだろう。つまり、第二の歯科医院で医師が必要と考えた、短期間で集中的にメンテナンスするという治療は、保険診療として厚生労働省が認めていないのである。
ここに、皆保険制度への懐疑が存在する。国による保険制度であるがために、患者にしても、医師にしても、国が定めた基準により治療に対する行動が制約されるわけで、結果として、歯科医院選びを難しくさせている根底に横たわっているように思うからである。
仮に、歯科診療の全てが自費診療であるならば、歯科医院は他院との差別化を図るために、自らが得意とする治療を前面に押し出してくるのではないだろうか。しかし、現行では保険制度があるため、患者は可能な限り保険診療を期待する。歯科医院はそれを十二分に理解しているから、国の基準にもとづく保険診療を前面に押し出さざるを得ず、自費診療はあくまでも保険診療のオプションとなる。その結果、はたから見れば、保険診療のすべてをこなす総合歯科医院だらけとなり、患者にしてみれば選ぶ術がない状況が生じる。
この目算が正しければ、皆保険制度は患者も医師も不幸にさせている。患者が必要な治療を受けにくい状況を生み出しているし、治療ができる医師の活躍の機会を少なからず奪っているからだ。また、歯科の多岐にわたる分野に、それぞれいるであろう名医を見えにくくさせていることも指摘できよう。逆に、診療報酬をしたたかに計算し、治療を施す歯科医院もあるかもしれない。
歯周病治療が、基本的に進行を食い止めるための予防を中心にしているということにも注意を払う必要がある。近年、予防医学という言葉を耳にすることが多くなったが、多くの歯科医院が歯周病予防を掲げるように、歯周病は歯の予防医学の重要な位置を占めるのだろう。診療報酬の算出基準となる点数のことはよくわからないが、歯を失う原因の多くが歯周病であることが指摘されているのに、診療報酬点数の関係で歯周病の予防や治療がおろそかになるのであれば、なんとも本末転倒だ。
歯周病治療は、国民皆保険という制度設計とも深く関係していそうである。ともあれ、医療の分野においては、適切な予防、そして治療を早い段階で受けられるような環境が整備されて欲しいと願う。(了)
歯周病がやばい!
ぐらぐらになってはじめた歯科医院探し
<目次>
01 プロローグ―歯科医院探しに求めたもの―
02 歯科医院を選ぶ難しさ―病因、病名、病状がわからない―
03 決め手に欠いた最初の歯科医院選び―公式サイト、口コミサイトからの消去法―
04 ファーストオピニオンを求めて―医師による診断を知る―
05 ファーストオピニオンからの収穫―最初の受診で学んだこと―
06 迷走する第二の歯科医院選び―決め手のなさに、ぶれる選択基準―
07 丁寧な第二の歯科医院―隠れ家レストランならぬ、隠れ家歯科医院―
08 第二の歯科医院への揺らぎ―あまりにも突然すぎた自費診療宣告―
09 そして、振り出しへ―考えさせられたかかりつけ歯科医院としての見きわめ―
10 再三の歯科医院選び―無意識に行っていた根拠のない選択からの脱却―
11 かかりつけ歯科医院との出会い?―自らの選択への覚悟―
12 エピローグ―歯周病治療から見えてくる現代日本人を取り巻くネット環境と医療制度の問題点―






